Smiley Moments

Tokyo - U.S.

私はラッキーだったって言う時。

ちょっと前に、在米フォロワーさんで、
"自分のprivilege(特権)を無視して、
無責任に留学は素晴らしい、みんな海外に飛ぶべきって勧められないよねって"
ってツイートしてる方がいて、
確かになって。

 

留学は本人の努力あってこそだけれど、
家族の理解と財力(留学前の学習環境、準備、留学中の支援)はとても大きく関わってくるかと。

自分が留学できる、そして続けられる環境であったこと、
"私はラッキーだった"って括ることは簡単だけれど、
そのラッキーっていうのは、自分の生まれ持った特権でもあるんだよなって。
それをNormalize/一般的な感覚として持っているのは危ないと。

 

2020年のBlack Lives Matter運動から、特によく見かけるようになった、
White Privilegeっていう言葉。
簡単に言えば、
社会のシステムや歴史によって
白人の方は、生まれつきで沢山のアドバンテージを持っているということ。

例えば、白人はアフリカンアメリカンより断然に警察に捕まりにくい。
ローンを借りようとしたとき、家を売ろうとした時、白人は良いレートをもらえる。
白人の名前/話し方をしている方が、仕事の面接に辿りつきやすい。
上司や教師、クラスメイトのほとんどが同じ人種。
自分の肌の色のバンドエイド、お人形、おもちゃ、バレエのトーシューズなどがすぐに買える。。。などなど。

 

この動画では、
イギリスの子供たちが人種の特権についての質問を受けて、
前後に移動していきます。

質問は
"どこの出身か尋ねられた事がある" (アイデンティティーの所属に関しての聞かれる)

"親が人種差別について警告した" (白人の場合、意識する必要が少ない)

"英語が親の第一言語" (アメリカの場合は、正式な公用語が決められていませんが、英語が第一言語であれば、情報が集めやすかったり、仕事上の苦労が少なかったりします)など。

 

最後に子供たちは、
同じラインに立っていたはずなのに、同志の間に大きな違いがあることを目にします。

 

"え、私は人種差別者(Racist)じゃ無いよ、差別を意図的にはしてないよ" 
っていうのは、レッドフラグ。

一見、中立的に見えるかもしれないけれど、
誰にでもある、無意識の差別が自分の中にもあると意識せず、
自分の特権が相手にどのような影響を与えているか黙視している状態。
この意識が、制度化/社会のシステムに組み込まれた差別を助長している。

だから、Antiracist (人種差別反対)でいなきゃいけないんだって、
反人種差別運動家で有名な、ボストン大学の教授で歴史家のIbram X. Kendiは言います。

 

人種以外で考えれば、
性別、ジェンダー、年齢、障がい、社会の階級などと、色々と出てきます。

日本においてだって、
男女の格差は大きく残るし、政治家や著名人の失言も多々取り上げられる。

 

例えば、
"ただ、女性が理系に行く人が少ないんですよ." 
逆に考えれば、なぜ女性が少ないのか。
幼少期から、理系のものは男子向けに作られて、女子は文系のものを薦められる。
ドラマで、理系のインテリを演じるのは、基本的に男性俳優。
収入格差だったり、家庭との両立、仕事上でのサポートが少ないなど、
女性はまだまだ家庭とキャリアの両立がしにくい。

 

じゃあ、今日はなぜこの記事を書こうと思ったからは、
このツイートを昨日拝見したのがきっかけ。

引用リツイートにも書いたけれど、
都内出身で私立に通い、曽祖母の代から女子の教育を大切にする家庭で育った私。。
シングルマザーだったし、手術したりと色々あったけれど、
芸事に励んでいた幼少期も、留学したいと決めた時も、
叱咤激励ありつつ、
家族みんな温かく見守ってくれていたし、そのサポートは今でも続く。

でも、私の育ってきた感覚を当たり前だと思って、一般概念だと思うのは危険。

それを初めて身をもって実感したのは、
LAの私立大学から、公立大学に転校したとき(転校理由は色々あるので省きます)。

私立大学の時は、
ブランド品やアップル製品持っていたり、
カフェテリアで普通にご飯を食べているのが当たり前のせいとばか理。
一方、公立大学では働きながら通っている生徒が沢山。
10ドルの教科書でも直ぐには買えないから、
ライブラリーにある共有のを毎回読みにいっていたり、
コンピューターが家にないから、学校の貸し出し/共有のでライブラリーで勉強していたり。
カップラーメンすら買えないで、明日食べるものもないって言っている生徒もいた。

自分は、いつも直ぐに教育に必要なものは買えたし、
食事に困ったことも一回もなかった。

でも、生徒は必死で家族で初めて大学卒業する人になろうって、
upward mobility と呼ばれる、社会の地位上昇をするために学士を取ろうと一生懸命だった。

私は恵まれていた、
生まれつき特権を持っていて、
沢山の自由な選択肢を持てていたんだって実感しました。

 

そういえば、先週大好きなDancing With The Starsという、
芸能人とプロダンサーのカップルが、
毎週競い合う番組のシーズンファイナルでした。

今回注目していたのは、Daniel Durantという、ろう者の俳優さん。
一つのパフォーマンスでは、音楽を途中で消して踊っていました。
音楽かけて、ぜひ見てみてください。

いかに聴こえる私が音楽に頼って踊っているのか実感し、
逆に、音楽がないのに音のテンポや雰囲気に合わせて踊れている
彼自身の高い表現力とダンスのスキルにすごいなって。

(障がいがあっても踊れるのは凄いっていうシンプルな感想は、
障がいポルノの一種だと思ってるので)

 

じゃあ、結局今の私に何ができるっていうと、
自分の特権を理解し、
時にはその特権を使ってでも、他人のためにも声を上げること、行動をとること。

ここで書いていたら、偽善者と呼ばれてしまうかもしれないけれど、
博士号でやりたいことも、このトピックに関わっていて、
社会貢献をしていきたいと思うのには変わらない。

あとは、全てが当たり前だと思わないで、感謝を忘れない。
自分の目に見えないからって、問題がないとは限らないってことかな。

 

もちろん、宝くじが当たれば運がいいんだと思います。

だけれど、次に自分が"あ〜私は恵まれてる、運が良かった"って思った時に、
その裏にもしかして何かあるのかなって考える瞬間があれば、
世の中もう少し、他人を思いやれるんじゃないかなーって理想を書いて今日はおしまいです。

 

ブログに書いていることは私の意見であって、
それに対して賛否両論あると思います。

ただ、こういう見解もあるんだなって思ってもらえれば。

ではまた!